上半期が終わりました
10月1日になった。
今年の4月に念願の本社異動を果たしてから半年が経ったということだ。
備忘録として、今の自分の感想を残しておく。
この半年は仕事に関しては非常に一定で、凪であった。よく言えば穏やか、悪く言えば退屈とも言えなくない。
私は本当に支社勤務が嫌だったし、今でも勿論嫌だと思っているし、本社の日々はかなり良い。
商品部の人たちは少々真面目すぎる気がするが優しい人ばかりだし、仕事内容にも特段不満はない、休みが取りやすく悪口が聞こえてこない環境は素晴らしい。
それでも本当にあっという間に半年が終わったような気がするのは、良くも悪くも感情の起伏が少なかったのだろう。
これは私が支社にいた頃にだいぶ年上の社員の方も言っていたことだ。本社は嬉しいこととかがあまりなく、平坦な気持ちで生きていると。
たしかに達成感のようなものは少ないかもしれない。けれどそれは自分がここに来てまだ半年で、業務がよく分かってないから、やれる仕事が少ないからだと思っている。
来年になったら感想もまた変わるのだろうか?一旦はこのあたりで備忘録とさせてもらう。
話しやすい人になりたかった
今日の午前中は4月から入社する人の研修をしていた。
入社前の研修は、初めましての人と仲良くなるために雑談をしつつ、商品研修をしたり会社のルールなどを伝えていく必要がある。
いま担当している新人さんは、私にとって最後の研修担当をしている人だ。
4月に異動したら、恐らく数年、もしかしたら2度と研修をすることは無いだろう。
そんな今日、研修の途中で新人さんから打ち明け話をされた。
研修の話の流れで、私の母が数年前に乳がんに罹患した話をしたら「実は私の母も…」となったのだ。
しかも1週間前に伝えられたばかりで、まだ家族以外の誰にも言えてなかったらしい。
そこからは研修そっちのけで彼女の苦労や不安を労る時間として使ったわけだが、研修の最後に「安藤さん話しやすいから、つい話しちゃった」と言われた。
私は正直その言葉に驚いたし、嬉しかった。
私は中高の頃、自他共に認める話しかけにくい人だった。
心の壁が高く、人見知りで、人を食わず嫌いする傾向があった。自分から話しかけるのも苦手でどちらかと言えばおとなしくて暗い人間だったと思う。
私は当時、話しやすい人になりたかった。
高3の頃からは自分なりに努力し、意識して人に話しかけるようになった。
しかし当時の私はコミュニケーションが上手くなく、恐らく自分の話ばかりしてしまっていた覚えがある。今思えばコミュ障の域をちっとも出ていなかった。
大学で出会った素敵な皆様のおかげで少しずつ改善されたが(大学4年の頃には気心知れた仲間内では話しかけやすいと思ってもらえていたようだが)私の人間性を大きく変えたのは、初対面の人と仲良くなる必要がある今の職種のおかげな部分が大いにあると考える。
そんな3年やってきた仕事の最後の最後に、初対面の人から、ずっと言われたかった言葉のサプライズをいただけたということだ。
入社当時は今の仕事に対して何の価値もないと思い病んだ時期も長かったが、異動を経てそして去る今、この仕事は私を成長させてくれたとちゃんと感じている。
数年後に見たとき、
今日のこのブログにどんな感想を持つだろうか
消える建物と残る思い出
私が高校生の頃、地元の駅前に富士そばがあった。
高校一年生の頃、部活で上手くいかないことがあった時、その富士そばで地元の友達に2時間ほど愚痴を聞いてもらった覚えがある。
今、そこはモスバーガーになっている。
地元の商店街を少し歩くとジョナサンがあった。
少しだけ高めのファミレスであるそこは、中学生の頃から地元の友達とのご飯やクラスの打ち上げ会場、テスト勉強の会場となっていた。
大学の頃、そんな地元の友達が3年ほど付き合っていた彼氏と別れた時招集された場所もジョナサンだった。
今、そこは武蔵野珈琲になっている。
春日部の駅は、私が転勤してきた頃は今ほど工事が進んでいなかった。
北千住方面の電車が出入りするホームから東口改札までは歩いてほんの10秒ほどで急いでいる時に大変便利だった。
その後、この2年の間で工事が進んで改札はどんどん遠ざかり、いまや電車を降りてから改札を出るまで1分半はかかる。
駅前にあったFUJIガーデンというスーパーはそこそこの品揃えで便利だった。
会社帰りの買い物は必ずここでしていたが、2025年の1月末で閉店してしまった。
先日、近所の一軒家が取り壊された。
通勤路にある家で、道から中の様子がたまに見えた。ロッキングチェアに座るおじいさんと猫がいる家だった。
取り壊される途中の家を見るのは初めてだった。
ついこの前まで人が暮らしていた生気溢れる場所があっけなく消える様は、不謹慎だが死体を見るような気持ちだった。(死体を見たことはまだない)
きっとそこにはすぐに新しい家が建つのだろう。
私はあと1週間で今の職場からいなくなる。
古い店が無くなり、新しい店になり、またその店もなくなり新しい店が来る。
転勤とはそんなものかもしれない。
私たちはお互いに会わないうちに少しずつ忘れていく存在だと思うし、それで構わない。
けれど店や建物が無くなっても、そこで生まれた思い出は無くならない。
私にとって今の職場はそんな風に時々思い出す場所になるだろう。そして、職場の人達にとっても時々思い出す存在として記憶に残れたら、それは少し光栄かもしれない。
さよーならまたいつか!
努力は自分だけの宝物
先日、自身が大学時代所属したピアノサークルの追いコンに出席した。
今年卒業する代は私が四年生の時に入学してきた子たちなので、もう代が一周してしまうわけだ。
社会人になってからのこの3年があっという間かと言われると、そうでもないが、あの一年生たちが卒業かと思うと時の流れは早い。
私自身は在学中、熱心なピアノサークル員ではなかったと思う。
演奏会に出る頻度は高かったが、自身の腕を磨きより難曲に挑戦するといったパッションや勇気は最後まで持ち合わせなかった。
しかしこの3年、後輩たちの姿を見て、当時の私は勿体なかったかもしれないと今感じている。
サークル加入当初は私よりもピアノに慣れ親しんでいなかった子、私と同じくらいのパッションで趣味の範囲を出なかった子、色々な人がこの3年で私には到底手が出なかった難曲に挑戦し、弾きこなしていった。
勿論、これは才能なんてものではない。努力だ。
ある人は、必ず毎日5分でもいいからピアノを弾くことを自分に課したと言っていた。私はその精神力、継続力、やり遂げる力に本当に感動してしまい尊敬してしまい、心から羨ましくなった。
私は継続力がない。昔からそうだった。何かを真剣に頑張り続けたり、目標を立てることが怖い。
物事が続かないたびに、目標を達成できないたびに、自分に失望する。(勿論続けられたことや達成できたこともあるが、それより遥かに、不実行に心を重くさせられる)
私は何かをコツコツ続けられる人のことを本当に心の底から尊敬する。
ただ先日の追いコンを受けて、まんまと感化されてしまい私も頑張りたくなってしまった。
来年の2月にある演奏会までのこり10ヶ月。
私にも出来るだろうか。
出来た時にはどんなに嬉しい気持ちになれるだろうかと夢見てしまった。
幸いお手本になる先生は周りに大勢いる。
私はすぐに遠い未来の想像をして勝手に諦めたり不安になったりするところが良くない。
結果的に弾けるかどうかなんて置いといて、まずは手を出してみることが大事なのかもしれない…。
ちなみに4年前からずっと好きで気になってたのはショパンのスケルツォ2番(言っちゃった!)
オンオフの切り替えが下手
私は家でも仕事のことを考えてしまうタイプである。
特に考えてしまうのがお風呂。
お風呂はスマホもいじれず、娯楽もなくただ己と向き合う場所だ。
そのため普段なら他に気を散らせて考えていないことも考える隙が出来てしまう。
生産的な考え事ならまだいいが、私が風呂場で考えるのは大抵、未来の心配事だ。
明日のあれ上手くいくかな
今日のあれ大丈夫だったかな
来週までにあれちゃんと終わるかな
などなど、考えても仕方ないことが不安になってぐるぐる考えてしまう。
昔、Twitterで読んだミニ漫画に
「業務時間外に仕事のこと考えても、給料が出ないから勿体ない」
というセリフがあった。
その通りすぎる。その通りすぎるのだが、考えてしまう人は考えてしまうのだ。
昔から心配性ではあった。
石橋を叩いて渡るかのように、まだ起きていないあれこれの1番最悪のパターンを想像していた。
しかし社会人になってからは意外とクソ真面目な性格も相まって心配なことが多過ぎる。
さすがに最近は放任や責任転嫁を覚えてきたが、気を抜くと全部自分のせいだと思ってしまう。
メンタルのオンオフの切り替えが下手なのだ。
これみんなはどうやって切り替えてるのかなあ?
ギャルマインドを手に入れたい期、毎年来る
muse-ミューズという存在-
最近、ミューズという言葉に惹かれている。
ざっくり素敵な女性を指す言葉だと認識しているが、ヒロイン、エンジェル、マーメイド、プリンセスなどといった女性を指す言葉に比べて、ミューズはどこか女性の自立や強さを感じる言葉だと思う。
ヒロインやエンジェルといった言葉にはもれなく「僕の」という枕詞が付きがちだが、ミューズに関しては僕のミューズという言葉になっても、所有物という感じが全くしない。
憧れて、手に入れられなくて、それでも諦められない、そんな気持ちが言わせている「僕の」だと勝手に連想されるのだ。
高嶺の花、に近いイメージかもしれない。
私は自由が大好きだ。
好きな時に、好きなところで、好きなことが出来る選択肢をいつでも持っている。
そんな自由が、人生を生きる意味だと言っても過言ではない。
自分が誰かの所有物だと思わされたり、誰かに行動や考えを制限されるというのはちょっと耐えられないかもしれない。
そんな私にとってしっくりくる女性像を示す言葉が、ミューズだったのかもしれない。
これを機に、ミューズという言葉を調べてみた。
ミューズとは女神ムーサの英語名であり、ギリシャ神話で文芸・学術・音楽・舞踏などをつかさどるそうだ。
ムーサは合計で9人いて、それぞれが異なる分野をつかさどっている。彼女たちは詩人や芸術家にインスピレーションを与え、創造性を鼓舞する役割を果たしている。
英語のmusicやmuseumはこのミューズが語源だそうだ。言われてみれば確かに!となるが、音楽と美術館の語源が一緒だとは気づかなかった。
現代ではミューズは主にブランド広告に出演する女性モデル等を指す。
また、作詞家や作曲家に良い曲を書かせてしまうアイドルというのがいるのだが、そういった存在もミューズと呼んで差し支えないだろう。(たとえば西野七瀬や遠藤さくらである)
私は特に創作者に影響を与えたいといったわけではないが、ヒロインよりミューズを目指したいお年頃である。
結局は自立した女性が好きで、そうありたいのだ。それだけの話がしたかったのかもしれない。
つよくてかわいい女、今年も目指す!
万人ウケなんてあるのだろうか
仕事で、ちょっといいスイーツを数人にプレゼントする機会があった。
食べものをプレゼントするうえで大切なのは、「万人ウケ」だ。
食べものの好みは本当に十人十色で、この世にはチョコレートが食べれない人も、寿司が嫌いな人もいる。
そんなこの世において、なるべく多くの人に好まれている(もしくは嫌がられていない)ものを探すことが最重要課題なのだ。
今回、チャットGPTさんのお力を借りようと思い、万人ウケするスイーツは何か聞いてみた。
チャットGPTいわく、万人ウケするスイーツは
・チーズケーキ
・ショートケーキ
・抹茶スイーツ
・ドーナツ
・プリン
だそうだ。
ふーむなるほど、納得できなくはない。チーズケーキや抹茶は多少好みが分かれるだろうが、受け取りを拒否するほどではないだろう。
プリンは私も何度かプレゼントで選んでいるが、大体外れないし喜んでもらいやすい。
次に、万人ウケする料理について聞いてみた。
これに対してチャットGPTは
・カレーライス
・お好み焼き
・チキン南蛮
・ピザ
・パスタ
と回答してきた。
これを見て私は、うわーマジかあと思った。
私はお好み焼きが大好きだ、料理の中でもトップ3に入るレベルで好きだと思う。
一方で、チキン南蛮は正直好きじゃない。タルタルソースがあまり口に合わない。
ほんとうにチキン南蛮が万人ウケなのか…?と思いもう一度聞いてみた。すると
・カレーライス
・オムライス
・パスタ
・ハンバーグ
・寿司
と出た。
…いや変わってるやないかい!
2回とも回答されたカレーライスとパスタが万人ウケと考えていいのだろうか…?
結局、AIにも万人ウケ、なんて曖昧な概念は分からないのかもしれない。
なるべく多くの人に好まれるような、正解ではなく最適解を選べるよう努力するしかないのかもしれない。
それでもどうしても迷ってしまう人には、ひとつおすすめの選び方がある。
それは、「自分の好きな食べものを押し付ける」だ。
ある程度万人ウケするジャンルに絞り込めたなら、そこからは個人の好みの問題だろう。
自分が好きな食べものを褒めてもらえたら嬉しい。良さを分かってもらえたら嬉しい。
その気持ちを求めて、最後は品物選びをしたっていいと思う。(もちろん、お口に合わなくて悲しい思いをするリスクもある。リスクを好まない人は人気ランキング上位のものを選んでおくと無難だ)
近頃多様性という言葉が頻繁に強調されるが、万人ウケと反する言葉かもしれない。
万人ウケの万人の裏にはそこから漏れている人がいる。
しかしそこまで気にしていたらいつまでも品物が決まらない。
世の中はどうしても、多少は、大多数の人間に基準を合わせないとやっていけないのかもしれない。
それでも、カレーが嫌いと同じテンションで、同性が好きだと言えたらいいよね。
本当に食べたいものは、自分で買いましょう!